作家が、話を創る上で自分の都合がいいように強引に展開させる作品。
駄作です。
いや、多少強引な展開でも勢いがあって面白い作品はあります。
なンというか、精神的に追い込まれた人が「こうするしかない」的な袋小路思考を強請する作品が駄作だと思うのです。こうするしかない、他の道はないのであっちこっち見たり考えるのは止めてェな的な話の展開が赦せませぬ。
もう少し述べますと、別に袋小路思考の強制的展開が悪いわけではなく、如何にして袋小路思考に陥ったかの、納得のいく説明があればよいのです。
突如これ迄構築され確率されていた人物キャラクターが今までには考えられないそぐわない行動を取る。何故そのような行動をしたかの動機が不明であやふや、曖昧なままで無理矢理話が進まされるのは頂けませぬ。
よく、「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれない」、「このキャラクターはこういう行動はしない」(ので話を変えた)的な話を聞きますね。
「ここでこのキャラクターがこうしてくれないと、考えた展開に繋がらないから…」と、作家に無理に行動を強制したキャラクターは憐れです。その話は無惨です。
“作者の考えた話の展開”の為にされた矯正により、結局それまでの繋がりが断たれるわけですから。
まぁ、ある意味で作家の方が追い詰められてるのでしょうかね。
前置きが長くなりましたが、
清水義範の『ランドルフィー物語』と作品があります。
―かつて世界は神に認められた王の元、一つであった。が、一つの悪意により、王の頭を飾っていた冠より宝石が喪われ、世界は分裂した。神話の時代より数多の年を数えて、一つ国に王の庶子ランドルフィーが立った―。
神の子ランドルフィーは世界に散らばった神授冠の宝石を手にする度毎により強力な加護を得て、ランドルフィーが宝石を掲げて神に祈れば奇跡が起こり、困難を越えてゆくのですが、
ランドルフィー困る→神に祈る→奇跡起きる=解決(×繰り返し)でサクサクサクッと話が進みます。非常にご都合主義的展開です。もう少し悩めよと突っ込むぐらいに、困り事があるとすぐに石を掲げます。間髪入れません。
まぁ、人身の及ばざるが如く、一応、時と場所は弁えてますが―。
―しかし、この奇跡にはキチンとした因果関係があります。世界を再び一つにすべき使命を帯びた、神に愛されたランドルフィーが石を掲げて神に祈れば、神は奇跡を起こすのです。作者がそのように設定したので絶対なのです。コーラを飲んだらゲップをするぐらい確実なのです。
ですので、ランドルフィーの手から宝石が失われたならば、いくら願っても奇跡は起きません。
この法則は絶対で、作者と云えども逆らえません。作者の都合で螺曲がったりしないのです。王の定めた法律には王も従うのです。王の都合で法律を変えてはならないのです。